イタリアの片田舎の広場

家から自転車でほんの5分のところに小さな入り江がある。横浜港から入り込んでいる川がそのまま舟入場として公園のようになっている。このあたりはハゼ釣りの名所と呼ばれているらしいが、実は釣りをしている人をあまり見かけたことがない。
私はこの場所が好きで、勝手に「イタリアの片田舎の広場」呼んでいる。理由を考えても特に理由らしい理由はなく、西側の小高い丘に沈む夕日がきれいなのと、人があまりいなくて老人たちがのんびりと犬を連れて夕方の散歩を楽しんでいる。
私は思い立つとよくここに釣りに来る。
餌の青イソメはコンビニ売っている。
何よりも私以外は釣り人はいなくて、行きかう人たちも何が釣れているかなど気にも留めないところが好きだ。白ワインをステンレスの水筒にいれたり、缶ビールをもってきたりして、夕暮れのほんの短い時間、竿をキャストする。
去年は息子がまだ就活していて家にいたので、やる気満々で重装備でやってきた。スズキの稚魚のサッパがたくさん釣れてびっくりした。猫もびっくりした。
そう、ここはあまり魚が釣れてはいけない私のお気に入りの場所、誰にも教えたくない「イタリアの片田舎の広場」なのだ。

 

竿を水面に投げて、柵に置いて、ベンチに座って一杯飲む。
魚がかかろうとかかるまいとそんなことは実はどうでもいい。
夕日と潮風が頬を撫でていく。
いつも大切なことを考えるときはなぜかここにやってくる、私の大切な場所のひとつなのだ。

f:id:swak2415:20190620191946j:plain

f:id:swak2415:20190620192042j:plain

f:id:swak2415:20190620192123j:plain

 

不細工なガジュマル

f:id:swak2415:20190526130337j:plain

少し体調を崩しているうちに速足で夏が来てしまった。
奥の部屋で冬眠させておいたガジュマルを今日やっとベランダに出すことができた。
水をたっぷりともらったガジュマルがうれしそうに青空に揺れている。
いまからもう15年ほども前に息子と行った沖縄の久米島の帰りにお土産屋さんで、確か景品だったかでもらった手のひらに乗る小さなミニ鉢。そういえば前回のサンフランシスコの蘭と似ていて、この大きく成長したガジュマルにも百代の過客を感じる。
しかし、こちらは蘭と違い手入れをしないから、枝は明後日の方向に伸び放題、コバエはたかるし水はけは悪いし、息子はすっかりそんな想い出も忘れて、「もう捨てちゃおうよ、邪魔!」と最近は怒るけれど、私はこの、生きるのが下手な不細工なガジュマルを眺めると涙が出そうになるのである。15年間の気持が葉の一枚一枚に姿を変えているような気がするからだ。それと、沖縄ではキジムナーという精霊が住むといわれるガジュマルの話が好きで、この木が息子を守っていてくれているような気がするからだ。
さて、思い切って、元気をなくして四方八方にだらしなく伸びている枝葉をまるで伸び放題の中学生の髪を丸刈りにする勢いで刈ってしまった。
以前何かの本にガジュマルの生命力はとても強く、葉がついた一本の枝葉を土にさすだけで大きく再生したり、残っている幹からどんどんと枝葉が伸びてすぐに緑が生い茂ると書いてあったからだ。
生命の再生力を信じて悪い部分や不要な部分は思い切って切り取ってしまえばいい、そこから新しい力がどんどんと湧いて再生してくる、それが人にも動物にも植物にも共通した自然の摂理なのかな?
と、以前にも増して不細工になってしまったガジュマルを眺めながら考えていた。

 

サンフランシスコの蘭

知人のKさんのお父様が母の霊前に手向けてください、と庭の黄色い美しい花を切り束ねて差し出した。

お父様はかなりのご高齢のはずなのだが、そうは見えず矍鑠とされていてゴルフに出かけたり飲み会に行ったり、何よりも広大な素晴らしい庭の無数の草花を奥様といっしょに日々手入されている。お宅にお邪魔してリビングから庭を眺めるといつも四季の草花が美しく、赤い花が終わると、白い花が、白い花が終わると黄色い花が、と四季をキャンパスのように描くその庭づくりにはいつも小さな感動を覚え、このお宅にお邪魔するようになっていくつも知らなかった花の名前を覚えた。

「この黄色い花は、カリフォルニア・シンビジュームといって蘭の一種なのですが、実は40年前に私がサンフランシスコの空港で試験管の中に入っていた小さな芽がお土産に売られていて、それを何げなく買ってきたものです。軒先に最初の20年はまったく成長せずにほったらかしにしておいたのですが、ある日突然眠りから覚めたように成長しはじめ、それからまた20年、こつこつ手入れをし続け、やがて鉢が割れるほど大きく育って美しい花をつけ、株分けをするほどになったのです。小指ほどの芽が今こんなになるとは、とお父様は玄関先にたくさん並ぶ黄色い花の鉢を見つめて笑った。

 

約40年前、大学生の私もサンフランシスコの空港に降り立った。

パン・アメリカン航空という、当時アメリカ合衆国のフラッグシップを誇る航空会社のジャンボジェットに乗った初めての海外旅行だった。

イーグルスの「ホテル・カリフォリニア」がまだリアルタイムにヒットチャートをにぎわしていた時代、学生時代の夏休み友人たちとアメリカをひと夏、旅行した。

 まずツアーの参加者はサンフランシスコに飛んだ。そして全米の長距離バス路線グレイハウンドの一ヶ月有効のフリーパスを支給され、30日後にロスアンゼルスの指定されたホテルに集合せよ、その間はすべて自分の経費で好きなところで好きなことをしてホテルでも野宿でもして放浪しろという、今考えるとなんとも乱暴で安易な企画の学生ツアーだった。

 到着した日から2泊はサンフランシスコ市内の安ホテルが用意され、オリエンテーションや出発式のようなものがあった。我々はその後、最初の一週間をサンフランシスコ郊外のバークレーにある大学、UCバークレーのドミトリーに宿泊した。大学が夏休みになる時期は、世界から旅行で訪れる学生たちに一泊8ドルの安さでドミトリーを開放するという制度が当時あったのだ。

 この大学のキャンパスは、’67年の映画「卒業」で学生役だったキャンディス・バーゲンが、恋人のダスティ・ホフマンに母と自分に二股をかけられ、学校に戻って傷心を抱いて歩く場面に使われた。サイモン&ガーファンクルの「スカボロフェア」の歌にのせた俯瞰映像のその広いキャンパスで、我々はつかのまの留学生気分を味わった。

その後はソルトレイクシティデンバーエル・パソへと周った。グレイハウンドのパスでメキシコにも周遊できることを知り、みんなと別れ独りでメキシコに入りチワワという、チワワ犬の原産地でもある町から銅の谷という深い渓谷を列車で越えて北上し、ティファナからサンディエゴに上りロスに戻り、そしてみんなと合流し、カリフォリニアのカーメルという美しい海辺の町のコテージで夏の終わりを思い思いに過ごした。

 ひょっとしたら私はその時にこの蘭の試験管を持ったKさんのお父さんとサンフランシスコの空港ですれ違っていたかもしれない、そんな妄想がふと浮かんだ。

学生時代の私の初の長い旅を心配しながら送り出してくれた母。帰ってきた時、旅の話をうれしそうに聞いてくれた母の顔。

そんな母はいつも私の味方だったし、私の一番の理解者だったかもしれない。

40年間、私は母に何をしてあげられたのだろうか?

黄色い蘭を祭壇に飾りながら、そんなことを考えた。

 

f:id:swak2415:20190513080357j:plain

 

 

旅は、続く。

f:id:swak2415:20190424122923j:plain

旅を続けてきた。

いいかげんな人生だったが、旅をすることにはこだわり続けた。

旅に出るために日常生活を送り、旅の合間に仕事をした。

 

いつもの旅の終わり。東京へ向かう夜のフライト飛行機の中からもう次の旅は始まった。

旅が終わろうとするその寂しさ、心にできるぽっかりとした余白がただ怖かったのだ。

テイクオフする上昇のGに体をゆだねながら、私の頭はもう地球儀を回して次の旅先をさがした。

 

若いころはニューヨークやパリで憑かれたように夜遊びをしたものだ。おいしいアペタイザーを食べ、トスカーナのワインを飲み、気まぐれな恋をして、そして音楽を聴きながら街角にダイブした。

 

時代はめぐり、私は愚かしいほど歳を取り、心は羞恥や後悔や疲労感で満たされた。

そのころからひとり旅が好きになった。そしてディスティネーションはアジアが多くなった。時差を気にせず、数時間で行きつける非日常の路地裏のカオス。そして心地よく酔いどれることができる小さな居場所。

 

たとえば、安宿から少しディープなアジアの小さな街の夜市、ナイトマーケットにふらりと歩いてでかけ、屋台をのぞき好き食べ物を指さして、まったりと屋台の片隅に腰掛け、飲みながらつまむ。

シンガポールランカウイ、クアラルンプール、クタ、ウブドジャカルタ、香港、マカオバンコク、ホアヒン、プーケット台北、高雄、ホーチミン、上海、ソウル、済州、マニラ、那覇

若いころは出会ったり、しゃべったり、見つけたり、さがしたり、そんなこともしたが、今はしない。

ただそこにある心地よさそうな場所をみつけては座るだけだ。

そしてまったりと夜の隙間に塗りつぶされていく。

そんな旅でいいのではないか?

心地よい風に吹かれて、にぎやかな喧噪の中で、そんな風に私は思ったりするのである。

春の魚は?

f:id:swak2415:20190307132056j:plain

 

三月に入り、菜種梅雨が続いている。傘の花の一輪になって駅に向かって人の波にまぎれていく夕暮れはすこしばかり寒々しいが、ひと雨ごとに春めいてくこの季節、あと少しの辛抱だという前向きな気持にもなれて新しい何かが始まる予感がする。

さて、春の旬の食べ物のことを書こうかといろいろ考えていた。

タラの芽の天ぷら、タケノコもいいし、やわらかい春キャベツや新玉ねぎ。あさりもふっくらと太ってくる。

ところで春の魚は何だろう?

調べると桜鯛などが出てくるが、魚に春と書く「鰆」という魚がいる。サワラと読む。光物の系統ながら白身系の性格もあわせ持つおいしい魚だが、実は関東ではあまり存在感がない。刺身も西京焼も食べたことがあるがあまりピンとこない。しかし、関西、特に岡山あたりでは魚と言えばこのサワラなのだという。魚の王様らしいし、まさにそのあたりでは旬の食材なのだが、回遊魚のため関東では春にはあまり水揚げされない。

私とサワラの出会いは、少し前のことになるが東京のスーパーで「サゴチ」と書かれた小さな切り身を見つけ、聞いたことがない名前だったので、買って調べてみたらサワラの子供ということが分かった。

このサゴチをオリーブオイルでソテーしてみたらとても美味だった。オリーブオイルとの相性が抜群でトマトとも合う。こんなにイタリアンしている魚はないと思ったものだ。

さて、今日は魚屋でサワラの切り身を見つけた。足のはやい魚ですぐに独特の臭みが出るが、これは新鮮で見事なサワラだ。思わず購入。極上のオリーブオイルと塩コショウだけでソテーしてみる。少しソテーした桃太郎ではなくファースト・トマトを添えてもいいかもしれない。白ワインでいただこう。

うん、料理はシンプルが奥深くていい。

魚屋の店頭で銀色にピカピカ光っているサワラを見つけたら迷わず購入。わが愛するギリシア神の雫オリーブオイル、モリア・エレアを贅沢にふんだんにかけまわしてささっとソテーでもしてごらんなさいな。

よく冷やした白ワイン片手に極上のデイナータイムの始まりだ。

代官山でティオペペを

ひと昔前、代官山に事務所を構えていた。バブリーな時代で、苦い失敗や思い出もたくさんあったが、今思うと、古き良き時代だった。まだツタヤもなく、タワーマンションではなく同潤会のアパートがあり、東横線の駅ものどかに地上にあった。事務所は代官山プラザアネックスという外人向けの賃貸アパートメントの一部屋だった。建物は古かったが6階からの眺めがよかった。作詞家の松本隆さんの仕事場があったり、有名なイタリアンレストランのオーナーのサルバトーレさんがいた。サルバトーレさんはいつもなぜかフレッシュバジルの束を抱え、当時は珍しかった真っ赤なマセラッティのコンバーチブルに乗っていつも颯爽と出かけた。その後にはバジルの甘い香りが残った。

毎晩仕事を終えると、猿楽町グリル&バーに立ち寄ってニューヨーカー気分でドライマティーニを一杯やった。ロックグラスにボンベイサファイアで。ベルモットはほんの少しのエクストラドライで、と仰々しく注文をつけた。食事はパッションが好きだった。オーソドックスではあるがしっかりとしたフレンチが楽しめて四季折々のディナーが楽しみだった。ここで出会ったモンラッシュという白ワインの衝撃的なおいしさは今も鮮明に舌に残っている。

もう一軒よく行ったのがタブローズという店だった、当時日本のレストランビジネスの最先端を突っ走っていたグローバルダイニングの旗艦店で、ロスアンゼルスからの出店というスタイルでカリフォルニアのセレブたちが喜ぶような、今でいうインスタ映えをすうるような豪華なゴシック調の店の内装とフレンチイタリアンの料理、ホスピタリティーとユーモアあふれるサービスが人気の店だった。大好きだったのは、入り口にウエイティングバーがあるところだった。

美女をディナーに誘った夜。

おしゃれに時間をかける美女はわざと遅れてくるものだ。少し早く店に着き、ドアをあけると小さなバーカウンターの向こうで馴染みのバーテンダーがにやりと笑って会釈をする。早々に泡系のカバを開ける時もあるが、この店ではティオペペというシェリー酒を飲む。スペインのドライな食前酒で、白ワインにブランデーを混ぜたような味が好きだった。カウンターチェアに浅く座って、バーテンダーに猥雑な冗談のひとつも投げかけながらこのティオペペをちびりとやっていると、やがて彼女は意味深な微笑みにルージュを引いて姿を現すのである。

 

代官山。

今はもう年に何度かしか通り過ぎることもなくなってしまった街。

街の様相はすっかりと変わってしまい、タブローズも代官山プラザも幻のように消えてしまったが、あの頃のめちゃくちゃばかかりしていた不良の大人だった自分は、少なくとも今の自分よりもいい旅をして、いい詞を書き、いい恋をしていたかもしれない。

f:id:swak2415:20190221092029j:plain

f:id:swak2415:20190211100916j:plain

 

ホワイトデーはすぐにやってくる

 


f:id:swak2415:20190211100755j:plain

 

 

2月はバレンタイン。

チョコレートをもらうのはいくつになってもうれしいものだ。春が待ち遠しいまだ寒さがきびしきこの頃、本命チョコでも、義理チョコでも、ばらまきチョコでも、渡されるときは、心がちょっぴり春めいて、うれし恥ずかし、ほっこりとできるものだ。

さて、バレンタインデーの1か月後にはホワイトデーがある。

そう、いただいた愛情や温情に感謝しお返しをする日でもある。もらった方は忘れてしまっていても、あげた方はよく覚えているから、ちゃんとメモでも取っておいて何かお返しするの、忘れちゃダメ!100円のチョコもらった人にだってちゃんと倍返しみたいにしてお返しするのよ、と昔、仲の良かった女友達が話してくれたのを思い出す。

さて、そのホワイトデーはすぐにやってくる。お返しが問題だ。

あんまり大げさで引かれるものでも、かといって心がこもっていないものでもダメだし、喜ばれるもの、使えるもの、ちょっとおしゃれ心のあるもの。

そこで、ある年のホワイトデーの前に思いついたのがオリーブオイルだった、たまたま、どこだったか、成城石井だったか、ガーデンだったか、輸入食材充実系のスーパーで見かけたのが少し高級なエクストラヴァージン・オリーブオイルのおしゃれな小瓶。キッチンにあっても決して邪魔になることはない、サラダにだって、パスタにだって、ピッツァにだって、生ハムやリゾットにタラりとしたっていい。

そう思い、何本か購入して配ったら、これがけっこう評判がよかった。

ということで、今年はホワイトデーに極上のエクストラヴァージンを送るのはいかがだろうか?というお話。

 本命チョコ返しには、ずばり、本命のすごいオリーブオイルがある。

ギリシアの伝説「モリア・エレア」だ。

いわば幻の別格エクストラヴァージン・オリーブオイル。なかなか入手がむずかしい。ギリシアの神々の雫とも呼ばれるその風味は、まるでしぼりたてのジュースのように凛として清廉。水のような感触の後にしっかりと一切雑味のない至福のコクと甘みがやってくる。かなりお高いけど、いままでのオリーブオイルの常識を超えることは確か。

お気に入りのキャンティでも開けてバケットにこの神々の雫を少しだけつけ口に持っていけばそれだけでもう完璧、あなたをギリシアの紺碧の風と空と海にいざなってくれる。ちょっとオーバーかな?

一本数千円のこのオリーブオイル。

私は最強最高のホワイトデーアイテムだと思うのだが・・・。

 

輸入商社はカテリーナ・トレーディング。電話注文可能。

HPはhttp://olivemoriaelea.com/

下記でも購入が可能。

https://www.elineupmall.com/info1/moriaerea/

 

f:id:swak2415:20190211100916j:plain