旅を続けてきた。
いいかげんな人生だったが、旅をすることにはこだわり続けた。
旅に出るために日常生活を送り、旅の合間に仕事をした。
いつもの旅の終わり。東京へ向かう夜のフライト飛行機の中からもう次の旅は始まった。
旅が終わろうとするその寂しさ、心にできるぽっかりとした余白がただ怖かったのだ。
テイクオフする上昇のGに体をゆだねながら、私の頭はもう地球儀を回して次の旅先をさがした。
若いころはニューヨークやパリで憑かれたように夜遊びをしたものだ。おいしいアペタイザーを食べ、トスカーナのワインを飲み、気まぐれな恋をして、そして音楽を聴きながら街角にダイブした。
時代はめぐり、私は愚かしいほど歳を取り、心は羞恥や後悔や疲労感で満たされた。
そのころからひとり旅が好きになった。そしてディスティネーションはアジアが多くなった。時差を気にせず、数時間で行きつける非日常の路地裏のカオス。そして心地よく酔いどれることができる小さな居場所。
たとえば、安宿から少しディープなアジアの小さな街の夜市、ナイトマーケットにふらりと歩いてでかけ、屋台をのぞき好き食べ物を指さして、まったりと屋台の片隅に腰掛け、飲みながらつまむ。
シンガポール、ランカウイ、クアラルンプール、クタ、ウブド、ジャカルタ、香港、マカオ、バンコク、ホアヒン、プーケット、台北、高雄、ホーチミン、上海、ソウル、済州、マニラ、那覇。
若いころは出会ったり、しゃべったり、見つけたり、さがしたり、そんなこともしたが、今はしない。
ただそこにある心地よさそうな場所をみつけては座るだけだ。
そしてまったりと夜の隙間に塗りつぶされていく。
そんな旅でいいのではないか?
心地よい風に吹かれて、にぎやかな喧噪の中で、そんな風に私は思ったりするのである。