不細工なガジュマル

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少し体調を崩しているうちに速足で夏が来てしまった。
奥の部屋で冬眠させておいたガジュマルを今日やっとベランダに出すことができた。
水をたっぷりともらったガジュマルがうれしそうに青空に揺れている。
いまからもう15年ほども前に息子と行った沖縄の久米島の帰りにお土産屋さんで、確か景品だったかでもらった手のひらに乗る小さなミニ鉢。そういえば前回のサンフランシスコの蘭と似ていて、この大きく成長したガジュマルにも百代の過客を感じる。
しかし、こちらは蘭と違い手入れをしないから、枝は明後日の方向に伸び放題、コバエはたかるし水はけは悪いし、息子はすっかりそんな想い出も忘れて、「もう捨てちゃおうよ、邪魔!」と最近は怒るけれど、私はこの、生きるのが下手な不細工なガジュマルを眺めると涙が出そうになるのである。15年間の気持が葉の一枚一枚に姿を変えているような気がするからだ。それと、沖縄ではキジムナーという精霊が住むといわれるガジュマルの話が好きで、この木が息子を守っていてくれているような気がするからだ。
さて、思い切って、元気をなくして四方八方にだらしなく伸びている枝葉をまるで伸び放題の中学生の髪を丸刈りにする勢いで刈ってしまった。
以前何かの本にガジュマルの生命力はとても強く、葉がついた一本の枝葉を土にさすだけで大きく再生したり、残っている幹からどんどんと枝葉が伸びてすぐに緑が生い茂ると書いてあったからだ。
生命の再生力を信じて悪い部分や不要な部分は思い切って切り取ってしまえばいい、そこから新しい力がどんどんと湧いて再生してくる、それが人にも動物にも植物にも共通した自然の摂理なのかな?
と、以前にも増して不細工になってしまったガジュマルを眺めながら考えていた。