東京のポールとロンドンのウナギ

 

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ポール・マッカートニーの東京ドーム、今回はアリーナで楽しんできた。偉大な足跡を残してきたビートルズ、そしてポール。ジョンもジョージもいなくなってしまった今、リンゴとポールだけが偉大な歴史の生き証人だ。ポールがすごいのはそんなレジェンドの殻に閉じこもらずに、76歳になった今もわかりやすく、そしてフレンドリーに音楽を愛し、それをファンに惜しみなくプレゼントしてくれるところだ。あの「ヘイジュード」を、あの「レットイットビー」を本物が歌ってくれるライブとは、半世紀の時をかける青春へのタイムマシーンに乗るように素晴らしい。

さて、以前、ビートルズのエッセイを書いたことがある。ビートルズが生まれた、マージー河からアイリッシュ海を臨む港町リヴァプールを調べていくと、今もだんだんと矢も楯もなく行きたくなってきてしまう。ニューヨークの滞在経験が長く、ロンドンに行く機会は一度しかないのでなおさらだ。

さて、そんなイギリスのことを考えていたら、不思議なパイのことを知った。ロンドンの下町のウナギのパイだ。あの静岡の夜のお菓子、ウナギパイのことではない。昔、ロンドンの労働者たちはたくさん獲れた安くて栄養価の高いウナギを好んで食べた。その食べ方は、ウナギを「にこごり」にしたり、パイ包みにするというもの。ベッカムも大好物らしい。

資料をひも解くと・・・・

ロンドンっ子とウナギの関係は11世紀頃まで遡るそうで、もともとテムズ川では食用のウナギがたくさん獲れていた。やがて18世紀になるテムズ川の水上輸送網が発達、オランダからも輸入するようになり、ロンドンではフライング・パイマンと呼ばれる行商人の売るウナギのパイ売りが人気を博した。19世紀、産業革命によって工業が発達。多くの造船ドックがテムズ河沿いにでき、これらのドックで働く男たち、ドッカーズがロンドンのウナギ料理を好み19世紀末から20世紀初頭にかけてパイ&マッシュの店が次々に誕生し、現在もテムズ川沿いの下町のイーストエンドは、ウナギを食べさせる店40軒もが集中。ウナギ料理が出されるのは、「Pie & Mash」と呼ばれる店で、マッシュポテトを添えたパイとともに、ウナギの煮込みやゼリー寄せが提供される、とのことです。

あ゛~!今日はギリシアのMORIA ELEAのオリーブオイルの話まで行きつけなかったけど、とにかくロンドンとリヴァプールに行きたく一なってしまった!という話。

ちなみに古代ギリシア人もウナギが大好物だったらしい・・・。

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我が愛すべきパスタ、ボンゴレ・ロッソ

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パスタは本当に奥が深い。だいぶ前にパスタ大全という分厚い本が日本でも出版された。確か講談社が日本版を出したと記憶しているが、なんと、イタリアのある料理家が5,000種類の古今東西のパスタのレシピを編纂したもので、ページを開くと、気が遠くなったものだ。

さて、我が家でもパスタは週二回の定番だ。その中でも一番多いメニューが、シンプルなポモドーロかボンゴレ・ロッソだ。もともとトマトベースが好きなこともあるし、やはり、パスタにはトマトが基本だと私は思う。使用する缶詰の水煮のイタリア産トマト缶は、メーカーやシーズンによって味がまったく違うから、もしスーパーで買ったトマト缶がごきげんでおいしかったら、翌日そのトマト缶を買占めに行った方が良い。フレッシュバジルの準備は?アサリなどの魚介類のトマトソースにはイタリアンパセリも欠かせないので、この2種類のハーブはぜひぜひベランダで栽培しておいて常備したいものだ。

ボンゴレはニンニクとオリーブオイル、鷹の爪とオリーブオイルだけでつくるビアンコ(白)が定番と考えている方も多いかもしれないが、私はどうしてもアサリにトマトの味を仲間入りさせたくて、ロッソ(赤)にしてしまう。たぶん、ビアンコの方が塩加減も含めて料理としては難しいのかもしれないが、私はたいていバケットと鶏もものディアブロかハーブローストを添えてお気に入りの白ワインでこのボンゴレ・ロッソを楽しむ。さらに残ったトマトソースはやさしくてバケットで掬い取る。アサリの旨味が融合して何とも言えないおいしさがある。

さて、このアサリなのだが、実は私は冷凍ものしか使わない。えっ?新鮮がいいでしょ?と叱られそうだが、実はアサリやシジミなどは、冷凍することによってうまみ成分のコハク酸がたくさん生成されるということをご存じだっただろうか?買ってきたばかりのアサリの下準備も重要。多めの粗塩でまずはアサリの殻をボウルに入れ少量の水でよくこすり洗う。驚くほど黒い泥汚れが出るはずだ。良く洗ったら常温の海水より少し薄めの塩水にゆったりと数時間入浴させる。再度汚れや不純物が出るのでよく洗い、死んだ貝があったら取り除き、ビニール袋に入れて急速冷凍。これで下準備は完璧だ。にんにくをたっぷり使いジューシーなトマトに火を入れ甘みを引出し、オリーブオイルと白ワインでふっくらと仕上げるボンゴレ・ロッソ。仕上げにはイタリアンパセリをたっぷりと散らしてください。

そうそう、最後には極上のエクストラヴァージン・オリーブオイルをケチらずに。魔法をかけるように、最後のおまじないのソースとしてかけまわすのを忘れずに。

もちろん、そこはぜいたくにギリシアの極上の一滴「モリア・エレア」ですよね。

 

秋の終わり、ニューヨークのラビオリ。

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 秋が深まってくる10月から11月の季節が一番好きだ。

「10月は黄昏の国」というブラッドベリーの小説にそんなタイトルがあったように、この季節はこの薄暮の時間がなんだかとても長くてロマンティックな時間に感じられるからだ。

「マジックアワー」。ビーチではサンセットの後、星がまたたき始めるまでの紫色の時間をそんな風に呼んだりする。

夕暮れ時、恋人に会いに小走りになる女性はとても美しいし、お気に入りのレストランでは看板に灯を入れ、オーブンに火を入れる。家にはそれぞれの一日を終えた家族が思い思いに帰ってきては食卓を囲む。

夜は長く、そしてとりとめもない、無性に長い話をしたくなる。

さて、もう20年ほど前、ニューヨークのマンハッタンのグリニッジ通りにアパートを借りていた時期がある。

日本とニューヨークを行ったり来たりの生活は約2年間続いたが、ニューヨークの秋が大好きだった。この時期は天気が安定し、朝晩はひんやりとした空気に包まれ、日中は暑いくらいの青空のインディアンサマーが続く。

10月の終わりのハロウィンのパレード、サンクスギビングに向けだんだんとお店がセールで盛り上がっていく。それが終わると、街は一気にクリスマスデコレーションに染まっていく。セントラルパークの木々は黄色や朱色に染まり、まるで街が大きなアートキャンバスのようで、にぎやかな街の活気は12月の半ばにロックフェラーセンターに大きなクリスマスツリーが点灯される頃にピークを迎える。

さて、その頃のニューヨークでの話。

CM撮影の仕事で知り合ったサニーというアメリカ人の若くて気さくな撮影ディレクターがいた。シカゴ出身の白人の青年だった。ある晴れた撮影が休みのオフの日曜日、私とカメラマンは彼からランチに誘われて昼前に彼を事務所に訪ねた。どこかレストランに行くものと思っていたのだが、彼がまず目指したのは、近くの公園でひらかれているファーマーズマーケットだった。この青空市場は近郊の農家がいわばワゴンやトラックに収穫したての食材やピクルスや自家製チーズ、アップルサイダーなどの惣菜や食材を満載してやってきて夕方まで店を広げる。サニーは八百屋のテントを覗き、まず摘みたてのスィートバジルを一束と、トマトを2種類買った。今思うと、それはソースにするためのサンマルツァーノ種とサラダにするためのファースト種だった。彼は陽気におしゃべりをしながら早足で日曜日の車が少ない大通りを横切り、看板も出ていない小さな店に入った。小さなショーケースひとつあるその店はイタリア食材のデリで、サニーは紙の箱に入った1ダースほどの手作りのラビオリとステンレスのバットに浮かんだ丸いボールのようなモッツァレラチーズをひとつ指さしビニール袋に入れてもらった。

事務所に戻り、小さなキッチンでサニーは料理をしてくれた。フライパンにたっぷりのヴァージンオリーブオイルを熱し、つぶしたニンニクにスィートバジルの茎の部分を手でちぎりいれ、そこに細かく刻んだサンマルツァーノ種の細長いフレッシュトマトを加え、シンプルに塩とブラックペッパーで炒め、ポモドーロソースを作った。そして茹で上げた、中にチーズが詰められた餃子のようなパスタの一種、ラビオリを皿に盛り、ソースをかけて最後にエクストラ・ヴァージンオイルをたっぷりかけまわした。もう一品、モッツァレラと甘いファーストトマトはスライスし交互に並べ、バジルの葉をあしらい、エキストラヴァージンオリーブオイルを塩、ブラックペッパーでカプレーゼというサラダになった。

イタリア移民が多いこのニューヨークにはどこにでもビリー・ジョエルの名曲「イタリアンレストラン」に出てくるような、窓際の席に若い恋人たちが陣取るような、きどらないコージーな小さなレストランがあり、おいしいキャンティが飲める。

サニーのラビオリ。それはシンプルだが私がはじめて出会った、本当に心からおいしいと思えるイタリア料理だった。そしてこのランチこそが私へのイタリア料理からの招待状であり。ニューヨークのイタリアンレストランを食べ歩きして料理を自分でつくるようになるきっかけになるのである。

 

さて、今回、ご縁があって、ギリシャ生まれの超高級オリーブオイル「モリア・エレア」と出会った。いままでのエキストラヴァージンオリーブオイルの常識をくつがえす、まさにオイルという概念を超えた「神話の雫」である。そのオリーブオイルのある毎日の生活を気ままなブログにしてみないか?という素敵なお話を輸入販売元の本川社長からいただいた。

このオリーブオイルというか、「オリーブの贅沢なジュース」のことはゆくゆく書いていくことになるが、このブログの最終回は、このギリシャ産オリーブオイルの収穫されるペロポネソス半島エーゲ海を見下ろす畑の古い大きなオリーブの樹の下で夢うつつで昼寝をする、という記事で終わることだけは決めている。