たとえば、サバ。
たとえば、冷凍庫の片隅にぽつりと残っているひからびた塩サバの切り身。
たとえば、新鮮な群青の鮮やかな魚体を光らせる、丸々と太った獲れたての、大分あたりの関鯖や三浦半島で上がる、一本釣りの松輪鯖の切り身ならまだわかる。
でも、この鯖は「鯖」ではなく、もう「サバ」に成り果ててしまっている。北の暗く冷たいノルウェーあたりの北海の沖合でトロール漁船に群れごと巻き上げられ、乱暴に三枚に下ろされ、粗塩をこれまた遠慮なく乱暴にまぶされ、ビニール袋に放り込まれ、段ボールに詰め込まれ、急速冷凍され、貨物船に積み込まれて、その後は流転の人生。何の因果か、今は私の家の冷凍庫の片隅に食べ残しの存在感ゼロの塩サバになって静かに賞味期限が尽きるのを待っている。
あまりにも可哀そうな奴だ。
このままずっと忘れ去られ、ある晴れた日曜日、気まぐれで冷蔵庫の掃除をはじめたご主人様に非情にも、食べられもせずポイと燃えるごみとして捨てられてしまうのか?
でもご主人様は賢者だった。
愛にあふれる心豊かなグルメなのであった。
この、幸薄いサバに希望を与えてくれたのだ。
たとえば、トルコには鯖バーガーという名物料理があって、油が乗った鯖を塩焼きにしてオリーブオイルをかけまわし、パニーニのようなパンにはさんで無造作に食らいつくし、イタリアの漁村では、海の見える自宅の玄関先にテーブルを並べ、今日水揚げされた市場に出せないようなサバやイワシに岩塩をかけて炭火で焼いて、黄昏時に赤ワインといっしょに家族で食して今日一日に出来事をおしゃべりしたりするのが最高のディナータイムだったりする。
私もそんな塩サバに愛を惜しみなく注ごう。
フライパンでこんがり焼いて、あまったルッコラだったり、トマトだったり100円チーズだったり、OKストアのパンだったりを皿に無造作に並べてみると、それはそれで、極上のワンディッシュになり、赤ワインがなんともおいしい芳醇なマジックディナータイムになるではないか?
でもこのマジックには実は最高の脇役?いや主役が実はいたりする。
それは、オリーブオイル。
極上のオリーブオイルを最後にぜいたくに皿全体にかけまわす。そのリッチな風味はすべての素材に地中海の命を吹き込む。
もちろん、それはギリシア生まれの神の雫、究極のエクストラヴァージンオリーブオイル、モリア・エレアだったりするのである。
一期一会
月におおよそ一度、音楽関係の仕事で新潟に行く。もうかれこれ15年は通っていて、まだ若くてやんちゃな時代には飲み友達もいっぱいいて、行きつけのお店が何軒もあり、一日の仕事なのにその前後の夜においしい新潟の肴と酒を楽しんだものだ。
飲み友のひとりに妙齢の美女がいた。おとなしく清楚な人だったが、まさに天使のように繊細で悪魔のように大胆に、とてもきれいにお酒を飲む人だった。彼女と飲むのは本町通りの「いちや」というひなびた居酒屋に決めていた。そして飲むのは常温の〆張鶴と決まっていた。お酌をするのが絶妙な人で、話をしながら大きめのぐい飲みが空くといつの間にかついでくれている。まあまあ、とこちらから酌をすると、あっ、もうこれ以上は飲めませんからといいながら、飲み干して受けてくれる。
ふたりで一晩に二升あけたことがあるが、不思議に翌朝は二日酔いにならなかった。
彼女はやがて人妻になってしまい、「いちや」で飲むこともなくなってしまい、私も新潟に行っても、今は〆張鶴を飲む気持ちにもなれず、新幹線にそそくさと乗り込み家路を急ぐようになった。
人生は一期一会。
振りかえれば後悔ばかりである。
あの時、あの瞬間、今思うと、大したこともないものをなぜ引きずって捨てられなかったのか?
なぜ、その背中にその一言が言えなかったのか?
そして、なぜ、その背中を追いかけなかったのか?
投げかけられた言葉の奥に秘められていたメッセージになぜ気づかなかったのだろうか?
人生は一期一会、か・・・・。
そんな想いを引きずっているうちに、私もすっかり歳をとってしまった。
もう二度と戻れはしないあの夜に、せめておもいをはせていたいと思ううち、新幹線は新潟駅を音もなく滑りだしていく。
2018年最後の夜は「ひとりバール」・・・・?
手の込んだイタリアンやスパニッシュ。たとえば、肉とトマトをフレッシュハーブとじっくり煮込んでラグーをつくる、とか。魚介類を何種類も買い集めペスカトーレやズッパをつくるとか。フレッシュラムを岩塩に包んでオーブンで焼くとか。休みの日は朝から白ワインをキッチンで飲みながら一日かけてそんな料理もいいけれど、それとは別に、忙しかった日の夜は質素だけど至福を感じる「ひとりバール」タイムがあってもいい。
たとえば、「イトキト」のバケットを手に入れた日。用事があって立ち寄った大岡山の駅前商店街。訪れるだけで心が彩られ、パリの街角のパン屋さんに迷いこんだような錯覚にブーランジェリー。間口2mほどの小さいお店はいつも幸せそうな顔をした人たちでにぎわっている。
バケットと言えば個人的な好みもあるが、本家本元のおいしさを誇るパリの名店ポウル。代官山シェ・ルイ、学芸大学のはずれにあったがなぜか突然神奈川の二宮に移転してしまったティグレ。最近では横浜磯子区のイル・デ・パンなどなど私の好きな店は各地にある。もちろんイトキトもそのひとつ。
さて、そのイトキトの48時間パン種を熟成させたバケットを片手に帰宅。そうだ、イタリアのプロシュートがあったっけ。冷蔵庫には切らしたことがないフレッシュトマトとルッコラ。そして、そうそう今年はギリシアの極上のエクストラヴァージンオリーブオイル、神の雫「モリア・エレア」があるではないか!もしかしたら、この最高級のオリーブオイルはこんな使い方が一番似合うのかもしれない。
テーブルに無造作にならべたお気に入りの食材たち。そしてワイン。
なんか、しあわせ。なんか、ぜいたく。
ひとりでふらりと名もない異国の街のバールのカウンターにいるように、心がふわりとすこし軽くなる。
今年はどんな年だったろう?
来年はどんな年になるのだろう。
テレビを消してジョビンの「Look like December」でも聴きながら2018年を見送ろうか。
12月は大桟橋のワイン試飲会
毎年12月になると横浜の大桟橋の会場でワインの試飲会がある。ワイン輸入商社の主催する小さなイベントだが、私の中では、ほんの少しだけ待ち遠しい、師走の横浜の風物詩イベントだ。
まず入り口で小さなショットグラスを受け取る。会場には世界各国からの赤、白ワインが試飲できる。特に高価で有名なワインを試飲できるわけではないが、真昼間から時間制限もなく広い会場をふらふらちびちびと何杯飲んで歩いてもタダなのだからこんなに楽しいことはない。もし少し勉強する気があるなら、ブドウの品種の味をあれこれ覚えたりできるのもこの試飲会ならではだ。赤ワインでもカベルネ・ソーヴィニオン、シラーズ、メルロー、ピノ・ノワール・・・。スペインの赤ならテンプラニーリョ、イタリアならサンジョヴェーゼなどがあって、どれもそれぞれ風味に特徴がある。全部覚える必要はないが、ああ、この品種はこんな感じなんだ!くらいの印象を覚えておくと自分の好みもだんだんと自覚できるようになる。チーズや生ハムの販売ブーズあってこれも試食できるから、一年に一度自分の舌のトレーニングのつもりであれこれと試飲しまわっているといつのまにかホロホロと酔ってくる。
そこは商売、そのあたりを見計らい、スタッフ登場。どうぞどうぞ!とテーブル席に誘導。そこで出してくるのがワンランク上のもっとおいしいワイン。客はそのワインを箱で買わされるという段取りだ。私はいつもお付き合いで行くだけなので知らんぷりでひたすら試飲を続けるのであるが・・・。
さてさて、その試飲会でブルーチーズと生ハムを買って帰宅。冷凍したパニーニをあたため、愛するギリシアのエクストラヴァージンオリーブオイル、神の雫、モリア・エレアを生ハムとパニーニにかけて、赤ワイン片手に晩酌をしながらブログ執筆。
ああ、今日もおいしい一日だった!
秘密の場所、四季。
いちょうの落葉が黄色のじゅうたんをつくる頃、冬将軍を連れて12月がやってくる。
寒くて体を丸めても、心は忙しくちょっぴりウキウキしてくる季節だ。
黄昏時。
いつも通る街並にはこの時期、家々の窓や玄関にクリスマスのイルミネーションがだんだんと灯りはじめる。
「さて」。
と、今日も私はいつもこの場所に来ていつものお気にいりのベンチに腰をおろす。
ここは私の大好きな秘密の場所。
大きな森のある公園のグラウンドの片隅。
四季折々、私はこの場所に足しげく毎週のように通ってくる。
昼ごはんをもって来る時もあるし、うたた寝をしに来ることもある。
考え事をしたり、音楽を聴いたり、スマホをいじったり。
木枯らしが吹く寒い冬も、桜が咲く春も、緑がまぶしい夏も、枯葉舞う秋も、時間さえ許せばいつでも帰ってくる場所。
冬
春
夏
そして、 秋・・・。
そしてまた冬。
そういえば、クリスマスにはいつも必ず聴く曲がある。
デヴィッド・フォスターが作った「クリスマス・リスト」という曲だ。
90年代の西海岸の音楽席巻した偉大なプロデューサーであり、作曲家、デヴィッド・フォスターが確かナタリー・コールに書き下ろしたクリスマスソング。
クリスマスが来る前にツリーに願い事のリストを飾る、そのクリスマス・リストに何を書こうかという歌である。この歌では世界中から戦争がなくなりますように、と大人になった主人公が想いを描く。
私のクリスマスにはこの曲は欠かせない。
あいかわらず、今年も日々の暮らしや仕事に追われ、何もいいことがなかった年。
何も残せず、残ったのは、後悔と苦い味の回顧。
でも数えるほどだけれども、素敵な風景と場面にも出会うこともできたっけ。
さて、私のクリスマス・リストは?
「来年?ほんの少しだけでもいいから、今年よりもいい年でありますように・・・」
モリア・エレア・神の滴レシピ①「昆布締めのスズキでつくるカルパッチョ」
さて、このブログではギリシアで生まれた極上「神の滴」エクストラヴァージンオリーブオイル「モリア・エレア」を使った秋谷銀四郎オリジナルの料理レシピを公開していこうと思う。私がであったオリーブオイルで極上でセクシーなオイルの領域を超えた「ソース」。それが「モリア・エレア」なのだ。このオイルに加熱はあまりにも無意味だ。渾身の一皿に最後に魂の一滴をかけまわす。まるで魔法の呪文のように使えるこのエクストラ・ヴァージンを使った第一回目のレシピ、それは・・・。
近所の鮮魚店で見つけた地元神奈川産のスズキ。そうだ、こんな新鮮なスズキはやっぱりカルパッチョにしてみたい。
もともとカルパッチョといえば、ひと昔前は牛肉のカルパッチョのことを指し、新鮮な牛肉のももなど赤味を薄くスライスしてそこにパルミジャーノレジアーノ、塩、ブラックペパー、極上のヴァージンオイルをかけまわして食べるのが基本の料理だった。しかし、日本ではある時期から牛肉の生食が禁止されて、肉屋でも以前は生食用にいい肉を販売してくれたのがNGになってしまった。それからというもの、街のレストランでは、カルパッチョというと白身魚のことになり、最近ではその統制も乱れ始め、カツオだのマグロだの青魚さえ薄く切ってオリーブオイルをかければなんでもカルパッチョになってしまっているのだ。
私は魚のカルパッチョといえばスズキやヒラメ、カレイなど白身魚と決めている。白身の繊細な風味がいいのだが、スズキに関して言えば季節や産地によって多少の臭みやぱさぱさした雑味がある。和食の世界ではそのようなスズキの刺身を昆布にはさみ、冷蔵庫に寝かせるという昆布締めの手法がある。
うまみを最大限に引き出したこの昆布締めにモリア・エレアの神の一滴が似合わないわけがない。
やっぱり!透き通った刺身に旨みが凝縮され、それがさらに濃厚な至福の食感に昇華する、和、イタリアンそんな枠さえ意味なく感じる新しい食感とおいしさがほとばしる一品になったではないか!
今夜はよく冷えたピノグリージョを開けて乾杯だ!
<スズキのイタリアンな昆布締め秋谷風>
①スズキの刺身をサクのまま用意。薄く辛口の白ワインを塗り、少な目に塩を振っておく。
②大きめの昆布を2枚用意してこれも白ワインで拭くように湿らせ柔らかくしておき、スズキの刺身をはさんでラップできっちり巻いて、冷蔵庫のできたらチルドルームなどに置いておく。
③2~3時間後(食べごろは半日~一晩)取り出し、片方の昆布をとってスライスし片方はお皿のように敷いたまま使用する。
④モリアエレアをかけまわし、塩、ブラックペッパーを振り、お好みでルッコラ、トマト(写真)、レモン、イタリアンパセリのみじん切りなどをあしらっても良い。
真っ赤と真っ黄色
日曜日、朝一番の北陸新幹線に乗って上越妙高経由で高田に。豪雪で知られる日本のスキー発祥の町は厳しい冬を迎える前のひととき、おだやかな日差しに包まれていた。城址公園の一角にある高校に到着。新潟県内の高校の軽音楽部を活性化してネットワークを作ろうというプロジェクトのために月に一度、こうして新潟のあちこちの高校を訪れて指導したりカウンセリングしたりという仕事のはずが、17歳青春、ギターを抱えて叫ぶ高校生たちの汚れていないまっすぐな気持ちに実は教えられることの方が多い。
さてこの日もいろいろなレッスンが行われたが、現場の若い講師が持参してきたボーカル志望への歌唱指導の課題曲がMy Hair is Badの「真赤」だった。正直、ここ10年ほどティーンズたちが熱狂するアーティストや楽曲に関してはまったくわからなくなってきている。椎名林檎とか神聖かまってちゃん、ぐらいまではなんとかついて行けたが、ここのところ「音楽吸収スポンジ脳」はワインとビールでびしょびしょになっていてもう何も吸収しない。あいかわらずiPhoneのライブラリーには、マリーナ・ショウかクルセイダーズとかジョビンとかダイアナ・クラールとか20年以上前のAORばっかり。
「♪ブラジャーのホックはずす~」から始まるその「真赤」の詞の見事さに自称・作詞家の私はびっくりこいた。自分にはもう書けない、とっくに失ってしまった、蒼くギザギザで近づいただけで切りつけられるような息をのむ感性だ。「もうおまえとおまえの時代はとっくに死んでいる」と、この歌はとうとう私に死亡宣告をした。
そんな潔いため息をつきながら校舎の窓から中庭に目を移すと。今度は「黄色」。それは鮮やかに色づく見事な真っ黄色のいちょうの大木だった。10月から忙しかったせいもあり、今年はじめて感じる深まる秋の色だ。
そういえば、もうひとつの黄色を家に無造作に置いてきてしまったことに気づいた。土曜日、所用でお伺いした、ある、とても素敵な庭のあるお宅、その庭はいつ行っても四季の野趣あふれる草花が無造作に花をつけている。私はこのお宅の、実は手を入れていながらも、草花を自然のままに遊ばせる庭に哲学的な感動さえ覚える。
帰り際にご主人が、「そうだ、花柚子がたくさんなったのでひとつ持ち帰
りませんか?」と剪定ばさみを片手に庭に出た。
いただいた小さな柚子の実は青からぼんやりと黄色に色づきはじめている。
今夜は冷えこんでくるらしい。この黄色を主役に湯豆腐にでもしようか。